寝室事情(1)




俺はとても悩んでいた。
監察たるもの判断力は常に試される。判断をするということは速さも時には大胆さも必要になるのだ。監察としての心得が分かっていながらも、今日、この瞬間の俺は解決できないでいた。
伊東先生はよく政治関係の仕事で遠方まで出張に行かなければならないことが多かった。直属の監察役として伊東先生に同行することになった。
先生のことは道場の頃からとても尊敬していたし、慕っていた。それは恋う気持ちという意味も含まれている。だからこそ、先生に同行して宿泊をするという機会はまたとない喜びになるはずだった。だが、それよりも苦悩の方が先行した。
何が苦悩かと言うと、その原因は先生の言い放った言葉にある。部屋を同じにすればいいと言った。確かに、二人での宿泊で別の部屋にする必要はない。先生がそう言ってくれたのはとても嬉しかった。そして、いざ部屋に着けば、先生は風呂に入ると言い、そして、布団を敷いておけと言った。
俺は何の疑問も持たず、了承し、風呂に向かう先生の後ろ姿を見送った。そして、また疑問を持たずに、まず先生の布団を敷く。自分に出来る限り精一杯綺麗に敷いた。そして、自分の分に手を掛けたとき。俺ははたと止まった。

2枚の布団をどのくらいの距離を離して敷くのかということを悩んだ。ぴったりとくっつけて敷けば、なんだか「新婚旅行」のようだ。あまりに近すぎて気持ち悪がられるだろう。しかし、こちらとしては願ったり叶ったりだ。近くで寝顔を見るなんてことはこんな時以外ないだろう。先生は人に無防備な部分を見せることはない。色々な表情の先生を見てきたが、寝顔は見たことがなかった。だから、見てみたいと常に思っていた。どう思われてしまうのかが不安だが。
かと言って、2枚をしっかり離してしまうのは、まるで「倦怠期夫婦」のようだ。俺としては非常に勿体ない。こんなに近くで眠ることが出来るのに、わざわざ離れるなんて、実に勿体ない話だ。
では、20センチくらい離してはどうだろう。とても中途半端な距離だ。そんなのは生殺し状態である。悶々として一晩を過ごすのかと思うと、それも避けたかった。
そんなことを悩むばかりで、距離が決められなかった。
試しに「新婚旅行」パターンにシフトしてみた。この距離で眠れるのか・・・緊張するな。成人もした男がその上司との布団の距離で顔が緩みそうになっているなどおかしな状況だとは分かっていたが、それでも俺の顔は口元から徐々に緩んだ。

そんな葛藤を繰り返しているとき。
がらっという襖の開く音がして、先生の気配を感じる。振り返ると風呂上がりの先生がいた。
布団は、「新婚旅行」パターンのままだった。俺にはそれを直す間がなかった。そんなことを知るわけがない先生が髪を拭きながら言った。
「篠原君も早く入ってきなさい。明日は早いぞ。」
いつもの条件反射で「はい。」と返事して、言われた通りに風呂に入る準備をした。未だ布団のパターンが気になっていたが、先生が嫌なら変えてくれるだろうと思った。変えていなければ、俺の願いが叶うだけの話だ。
悩んだことをなるべく忘れようと、俺は風呂に集中した。

部屋に戻ると明かりが薄暗くなっていた。
先生はもう布団に入っていた。
布団は離れていなかった。
思わずタオルをぎゅっと握りしめた。緊張した所為だと思う。
もうすっかり寝ているらしい先生を横目に、就寝の準備をして俺も布団に潜り込んだ。
運が良いことに先生は俺の方を向いて眠っていた。俺もそれに応えるかのように先生の方に体を向けた。
先生の寝顔がよく見えた。
寝顔も凛々しかった。
どことなく漂う雰囲気から育ちの良さを感じさせた。
端正な顔の造り。心地よい呼吸のリズム。全てがいつもと違うように見せていた。
いつも見せない姿を見られると、その人のことをもっと知ることが出来たような気がする。
おかげで、昨日よりもっと好きになった。

先生はこんな顔をして眠るんだ。そんなことを知り、俺は喜びを得た。
もちろん、その夜はさほど寝れなかった。


(20090205アップ。200902010加筆修正。)