男のいちにち





男の一日は変わらない。
朝起きる。適度に身支度を済ませる。男の上司の部屋へ向かう。上司は必ず起きている。一日のスケジュールを確認する。スケジュール通り、上司とともに業務をこなす。屯所へ帰る。一日を終え、眠る。
この繰り返し。
時折、不規則的に張り込みで夜通し起きていたりする。
それでも、変わりのない日々は続く。
桜が咲き乱れる春。陽が焼き付ける夏。赤い葉が落ちる秋。
いつも変わらなかった。男はそれを退屈と思わなかった。上司のために動くことがすべてであるということ。これが揺らがなければ退屈と思う理由もなかった。


鉛色の空が広がる。その空から白い雪が絶えず舞い落ちる。ふわりと落ち、地面には雪が積もり続けて、白い世界ができあがっている。天と地がまるで対照的な色をしている。
屯所の縁側を歩きながら庭を見て、そんなことを思った。
男はある部屋の前で立ち止まる。そして、片膝をつき、声を出す。
「先生、おはようございます。」
こんなことを言わなくとも、上司は「気」で気づいてしまっていることは分かっていたが、礼儀のために声をかけてから障子を開けていた。
「おはよう。」
机に向かって何やら書類の整理をしている上司は、男の方に目を向けなかった。
部屋に入る。暖かい空気にほっとする。
「今日のスケジュールですが・・・」
「君は今日休んだらどうかね。」
スケジュール確認をする前に、遮られた。男はとても驚いた。
即座にいろいろなことを考えた。上司が突然何かを提案すること自体珍しい。それだけでなく、休むことを提案している。これまで休んだことなどなかったのに。何か仕事上で自分がミスをしたのだろうか。あれこれと考えるが、思いつかない。
不可解なことで、押し黙ってしまいそうになった。が、それを振り切るために、反対した。
「いえ、必要ありません。」
上司は一瞥を与え、「そうか。」とだけ返し、一日の予定を確認した。
その日の業務は、上司は政治活動がメインだった。政府関係者との会談。
男はその付き添いをした。上司の会談が終了した後は、男だけ夜から張り込みだった。主要人物の動きを調べるというもの。情報収集のための張り込みは昼よりも夜の方がしやすい。
上司を屯所へ帰るのを見送ってから、男は張り込みに入った。

雪はいまだに降っている。
師走の気温は生易しく張り込みをさせてくれない。
寒さに体が凍るような感覚を覚えていたが、男は業務に徹底した。上司の政治活動のためだ。男にとって大事な上司の大事なもののため。つらいことはなかった。

しかし、何時間待てども目当ての人物が姿を現さない。もう夜更けへと移ろうという時刻だった。張り込みなどでは成果を得られないことも多々ある。
「予測が外れた。」悔しさから男は舌打ちをした。
すると、背後から男の声がする。
「舌打ちなど下品なことをするな。」
上司だった。
男はまたしても驚かされた。
「先生、どうしてこんなところに・・・」
「君が帰ってこないからな、おそらく外れたんだろうと。」
「こんなところまでいらっしゃらなくても・・・」
上司は男の目を見ずに、「いや、いいだろう、ここに来ても・・・」とつぶやいた。ぶつぶつとつぶやく口元からは白い吐息が漏れる。寒いだろうに・・・と男は思った。
「寒いから、早く帰りましょう」と言おうとして言いかけた男の目の前を大きな何かが塞いだ。
「寒いだろう。」
あたたかい感触のそれを手にする。マフラーだ。
「それをしなさい。」
上司は相変わらず男の目を見ないで言った。
「おめでとう。」
「え?」
「今日は君が生まれた日だろう!」
・・・そういえば・・・・。自分の誕生日などすっかりと頭の中から抜け落ちていた。
いろいろな驚きが男の中で回り続ける。言葉を返せないでいると、上司が静かに怒りを見せながら言う。
「・・・なんだ?君は僕のプレゼントが受け取れないのか。」
きっと睨み付けながらそう伝えた。
もたもたしていると手にしているものが捨てられてしまいそうに感じられて、慌てて首に巻く。
首にぬくもりが訪れる。あたたかい。
「ありがとうございます。」
相変わらず、上司は男の目を見ない。男がその表情をのぞくと上司の顔が赤く染まっているように見えた。
ああ、照れてるのか。
そう思うと、なぜだか安心した。
「いや、君にはいつもよくやってもらっているから。」
「覚えていてくださったんですね。」
先ほどの少し苛立った表情を緩めて軽い微笑みを浮かべて、上司は言った。
「部下の管理も上司の務めだからな。」

「これ・・・プレゼントってこと・・・ですか。」
「いや、買いに行く時間がなかった。この時間じゃ店もやっていないからな。」
そう言われればそうだろう。上司の側にはいつも男がいた。買う時間などあるはずがない。
「すまんが、それは僕のだ。もう一つは持っているから、それは君にやる。」
素直にプレゼントだと肯定してくれればいいのに。
「ありがとうございます。」
少し吹き出しそうになりながら言う。
「何かおかしいことがあるか。」
ふて腐れたような顔をしながら言う上司が、男にとっては恋しかった。
「いえ、そんなことありません。ただ・・・マフラーから先生の匂いがして・・・とてもいい匂いだなと思って。それで微笑っただけです。」
上司は顔を真っ赤にして怒る。
「篠原くんっ・・・・!僕をからかう気か・・・?」
「違いますよ。ただ、すごくうれしいだけです。自分でも忘れていた誕生日に僕が寒くないようにとプレゼントをくれたことが。」
「・・・君は熱心な監察だが、自分のことを大事にしない。今日だって、もっと防寒をすればいいものを・・・この大雪の日に。」
「身軽な方がいいですよ。」
「言い訳だな。僕にとって"大事な人"を粗末に扱われると、困る。」

"大事な人"
それが自分を指していることが嬉しかった。
マフラーよりもその一言があたたかい。

「そうですね。」
そっと静かに声を返した。

しばらく、どちらも何も話さない時間が流れた。
雪の降る音が聞こえてくるだけだった。


「今日はもう帰ろう。」
上司が沈黙を破った。いつもより優しい声に聞こえた。
「いいんですか。」
「ああ、今日はもういいだろう。ヤツも今日はもう出てこまい。」

上司の後ろを、男はついて歩いた。
黒い夜空から白い雪が落ちる。朝と変わらない。
言ってみれば今日も変わらない一日のはずだった。
上司のために仕事をこなす。ただそれだけの一日。

「篠原くん、帰ったら酒でも飲もうか。」
「はい。それも誕生日プレゼント、ですか?」
「そうだな。」
「じゃあ、プレゼントついでに、先生の部屋で飲んでもいいですか。」
「欲張りすぎだな。でも、いいだろう。」

しかし、今日は少し違う一日。特別な一日。あたたかい一日。
おめでとう、篠原くん。



(2009/12/23)